まざりあいー伏見町栫山が大切にしていること
天下の台所といわれた町があった 江戸時代、西回り航路が開発され、全国の藩から米が大坂に持ち込まれた。堂島の米市場で売り買いされたのをはじめ、全国から菜種・昆布・野菜・魚・木材などがモノとともに、人、情報が大坂で混ざり合った。そのなかから、新たな独創的なモノやコトが生まれた 有名な言葉がある。「天下の貨(たから)七分は浪華にあり、浪華の貨七分は船中にあり」。そういわれた天下の台所 大坂は、全国に張り巡らされた水路ネットワークが混ざり合う場所だった。その核であった船場に日本料理店が生まれて1年。伏見町栫山から見える様々な風景をこれから綴っていきたい 出会いもの 日本料理の精神そのもの 海のもの、川のもの、山のもの、野のものが、大坂で、出会う。旬の食材どおしを“まぜ”て、それぞれの良さを引き立てあう 季節ごとに、食材をまぜる。まぜるには、ふたつある。元の食材が見えなくなる「混ぜる」と、まぜても元の食材が見える「交ぜる」のふたつのまぜるを組み合わせ、旬の食材の良さを活かしきることが料理には大切だった 季節の出会いものが、日本料理の原点である 9 月の伏見町栫山の料理 夏の名残と秋の走りと季節の変わり目の初秋の出会いもの 五節句のひとつである重陽の節句は、菊を眺め、菊酒を飲み、栗ご飯を食べ、邪気を払い、無病息災、長寿を願う平安時代由来の行事 同じく平安時代からつづく十五夜には、月を愛でる。菊を見て、月を見て、春からの収穫に感謝する時期だった 日に日に秋がしのびこんでくるが、まだまだ夏がつづく。 お客さまの体調は日々変わる。人によって変わるこの時季 伏見町栫山では、日々、塩と醤油の加減を塩梅する。喉越しのいい料理を心がける夏から、秋は温かい料理からはじめ、噛みしめて味がひろがる料理となるよう、季節の食材の大きさをお客さまのお姿を考えて、包丁をいれさせていただいている (社会文化研究家 池永寛明) 船場で企業人として40年間勤務したあと、社会文化研究家として、ビジネス文化、大阪の風土と文化、食文化を研究しnote日経COMEMOキーオピニオンリーダーhttps://note.com/hiroaki_1959/などで、情報発信中