投稿

3月, 2023の投稿を表示しています

三色真薯の煮椀に込めた想い、船場汁に込めた想い

イメージ
  三月の呼び名は多い。弥生三月とよくいうが、弥生(やよい)の弥はいよいよ、生は草木が芽吹くさまをあらわします。3月3日は上巳(じょうし)の節句、桃の節句であり、雛祭りをおこなうので、雛月とも呼ばれていました。その雛月に、三色菱餅を見立てた料理をつくりました 雛祭りの縁起物である菱餅は、雪が溶けて大地に草が芽吹き、桃が咲く様子を見立てています。菱餅は「緑・白・紅」3色。緑色は芽吹く若草を表現し身を清める「厄除け」を、白は清浄・純白を表現して「子孫繁栄」「長寿」を、紅は桃の花で「魔除け」を意味している。この3色の餅は、心臓を見立てた菱形に切り、母と子どもが健やかであるようにと願いました   縁起物の三色の菱餅は、真薯(しんじょ)です。3色の帯は金時人参で赤を、大根で白を、ほうれん草で緑を表現しました。桃の節句につきものの蛤(はまぐり)で出汁をひき、白身魚、海老、蛤(はまぐり)のすり身に山芋、卵白を混ぜ、塩で味を調えた菱餅をつくりました。そして昔からお祝いなどのハレの席に使われた、春先しか採れない海藻・神馬(じんば)草の新芽を添えました。このような「見立て」が日本料理の本質です   今月の栫山伏見町の料理物語は、雛あられとともに白酒で邪気をはらい、黄身すし・うに・菜の花・車海老などのちらし寿司、旬の筍と木の芽に出汁を混ぜ、白子のなめらかさに一工夫した椎茸を混ぜ、旬のおこぜ・のどぐろの花わさび、蕗(ふき)餅のお椀、春の風が吹くと集まる春の貝寄せ八寸、大阪産のうすい豆と春だいこん、野菜の炊き合わせ。そして最後の一品は、栫山伏見町の始末の料理「船場汁」です その日の料理に使った野菜の皮やヘタ、魚の骨をくだき、昆布と鰹から取り出した出汁に混ぜ合わせた、その日その日で変わる船場汁です。旬の、その日の食材を活かし、無駄なく使いきり、食べつくしていただきたいと願いました 江戸時代からの商人のまちであった大坂船場の本質である始末の心をうけつぎ、後世につないでいきたいと考える栫山伏見町が考えた始末の心をカタチにした料理です。現在、世界・日本がめざしている SDGs (持続可能な開発目標)の、栫山伏見町の取り組みです 季節、旬の食材の数々を組み合わせ、創意工夫して、お客さまがお喜びいただく笑顔、お客さまに心身にやさしい料理を日々めざしています

冬のなごりと春のはしり

イメージ
文化初( 1804 )年、大坂の高津神社の東に、江戸の亀戸梅屋敷を模して梅林を植えた梅屋敷が開かれた。如月の梅の盛りの頃は、多くの人が繰り出し、連歌や俳諧や狂歌、演奏や踊りを楽しんだという 山菜と鮑、車海老、梅の香り 2 月 12 日の夜、東大寺の二月堂の本尊十一面観音菩薩に供える香水を汲みあげることからお水取り、練行衆が上堂する際に足元を照らす大松明で先導することからお松明とも呼ばれる春を告げる行事は、天平勝宝 4 (752)年から現在までつづけられている。日本の生活文化には、仏教が根差している 日本の食文化は、古来より、野菜と魚と鳥が中心だった。日本の料理も、仏教の教えもあり、獣肉は敬遠されていた。室町時代までの料理の膳に並ぶ鳥は、雉(きじ)が主役だった。江戸時代に入って主役は鶴に移ったが、実際は雁(がん)や鶏(にわとり)が多く食べられたという 「鴨が葱(ねぎ)を背負って来る」という都合の良い状況をあらわすことわざであるが、鴨料理からうまれている。鴨は食感が柔らかく脂(あぶら)が甘い鴨肉だが、野鳥特有の匂いがあるために、葱などの香味を加えて旨(うま)みを高める。この鴨と葱を組み合わせた鴨鍋や鴨南蛮そばなどがうまれた 琵琶湖に飛来する冬の鴨は身が引き締まり、徳川幕府に献上されたこともあったようで、冬の料理の貴重な食材だった。現在も、琵琶湖には、鴨が飛んでくる 冬の寒さのなかに感じるかすかな春が近づいている季節、冬のなごりと春のはしり、お水取りをテーマにした八寸をご用意しました。河豚を福にな ぞらえ、河豚(福)八寸 福いっぱいを感じていただきたく、河豚の白子と、河豚の唐揚げをお出しした